それからあとは、すべてごく迅速に、確実に、自然に事が運んだので、もう何も覚えていない。ただひとつだけ、記憶がある。村の入り口のところで、受持の看護婦が私に語った。彼女はその顔付きにつり合わぬふしぎな声をしていた。音楽的な震えるような声だ。「ゆっくり行くと、日射病にかかる恐れがあります。けれども、いそぎ過ぎると、汗をかいて、教会で寒けがします」と彼女はいった。彼女は正しい。逃げ道はないのだ。この一日について私はなお若干の印象を忘れてはいない。例えば、村近く、最後に彼がわれわれに追いついた時の、ペレーズの顔。疲労と苦痛からの大粒の涙が頬にあふれていた。が、皺があるため、流れ落ちはしない。涙は広がったり、集まったりして、このぼろぼろの顔の上に、ニスみたいに光っていた。また、教会や、歩道に立つ村びとや、墓石のそばの赤いジェラニューム。ペレーズの失神(間接のはずれたあやつり人形みたいな)、ママンの柩の上に散らばった血のような土の色、土にまじっていた草木の根の白い肉、それから、そこいらのひとたち、声、村、喫茶店の前で待ったこと、エンジンの絶え間ないうなり、そして、バスがアルジェの光の巣に入ったときの、私の喜び、そのとき、私はこれで横になれる、十二時間眠ろうと考えた。
【中略】
おもての光線は、窓に向かってあふれて来るように見えた。ひかりは、顔という顔の上を、新鮮な液のように、流れた。
【中略】
彼が出てゆくと、私は平静をとり返した。私は精根つきてベッドに身を投げた。私は眠ったらしかった。顔の上に星々のひかりを感じて眼をさましたのだから。田園のざわめきがわたしのところまで上がって来た。夜と大地と塩のにおいが、こめかみをさわやかにした。この眠れる夏のすばらしい平和が、潮のように、私のなかにしみ入って来た。このとき、夜のはずれで、サイレンが鳴った。それは、今や私とは永遠に無関係になった一つの世界への出発を、告げていた。ほんとに久し振りで、私はママンのことを思った。一つの生涯のおわりに、なぜママンが「許嫁」を持ったのか、また、生涯をやり直す振りをしたのか、それが今わかるような気がした。あそこ、幾つもの生命が消えてゆくあの養老院のまわりでもまた、夕暮れは憂愁に満ちた休息のひとときだった。死に近づいて、ママンはあそこで解放を感じ、全く生かえるのを感じたに違いなかった。何人も、何人といえども、ママンのことを泣く権利はない。そして、私もまた、全く生かえったような思いがしている。あの大きな憤怒が、私の罪を洗い清め、希望をすべて空にしてしまったかのように、この“しるし”と星々とに満ちた夜を前にして、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた。これほど世界を自分に近いものと感じ、自分の兄弟のように感じると、私は、自分が幸福だったし、今もなお幸福であることを悟った。すべてが終わって、私がより孤独でないことを感じるために、この私に残された望みといっては、私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだった。:カミュ[異邦人]
20100121
:19
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