3/1
齟齬が至当である所の言語を用いておりながら齟齬を考慮せず黙殺する行為は殺人に等しい。またこの殺人は日常的に随所で行われている。この構造は核となる自己と言葉との間に乖離が無いもしくは限りなく少ない人間と対峙する際には前提である“核となる自己との齟齬が当然である”の概念のもとその人間自体殺される。乖離の激しい人間程、核と言語との間に距離は大きく他人ひいては自らをも欺く。そのため人間は皆ひとしく殺されている。よってこの世に人間は居ない。
人間が滅びているにも拘らず肉体が吹きだまっているばかりに存在を否応なく肯定された際、滅んでいるという事実さえ死に絶える。だからラスコーリニコフは僕を打棄ってくれ見捨ててくれと言う。メタ化の顕著な現代においてこの種の殺戮はあまりに容易い。というか核や自己とは別に一つのものだけを指し示すことが前提になければまともに機能しない言語というツールがメタ化しているというのは顕著な破綻がある。
おもうに原罪は「かみさまは追放されてかわいそう」ということ、「かみさまも(ことによったら誰より熱烈に)否応なく存在を肯定されている」ということ。念のため原罪の意味を調べてみたら聖書中しばしば「肉」と形容されるらしく驚いた。私は「罪と罰」でスヴィドリガイロフが一番好きなんだけど、彼の事を好きなのは彼が自らの罪を余す所なく意識した上で肉としても自分だけ恬淡をつらぬき見詰めているからです。
十戒は絶えず破られているがそれは対象を人間と定めた場合のみではない。凡例は幾らでも取り出せる。神の居ない宗教は単なるカルトだ。十戒は対象を限らずに言うならたえず破られている。
海や空や水や火や鳥や魚や蛇や花や虫をすきなのは彼らが私を滅ぼしてくれるからです。滅んだ私を仲間に入れてくれるからです。
以前本も映画も人も音楽も美術も愛せるものが何もないと思っていたけれど海や空や水や火や鳥や魚や蛇や花や虫がすきなのでもうだいじょうぶ。潤む土地の向こう側へ行きたいな。
世界の仕組みは随分簡素だけれど参与の余地は残されていないと感じていた。今は自分がいったい幾つ目のマトリョーシカにいるのかさえ重要ではない。葉の裏に光が透けて。私は感情の動きがのろまだけどYはとても迅速に的確に健全に気持ちを動かすから私はこういうことなんだなとわかる。
3/2
空港で海とコンクリートと雲がしぬ程きれい。かもめが飛んでて沼に水鳥がいて白い太陽が反射してる。
瞼を閉じているにもかかわらず薄皮を貫いた日のひかり。まばゆさに目を開くと曇り空から垂直に落ちた太陽が銀にのべられ海の表面を撫でていた。機内でふと目を覚ました折りどこまでも平らに広がった雲が積雪と区別できず随分長い間迷ったのであったと思い出す。彩度差の殆どない風景において各々を構成するのは光量の差ばかりである。
線香と防虫剤と化粧の臭いの入り交じった臭気がはなをつく。
ふちを藤色の掛かった朱にそめ、貝殻さもなくば花弁に似た欠片。
3/3
だけどみんな滅び滅ぼされ死んでしまう。まともな人ならイエスのように振る舞うしかないのだけれど。愛しいと書いてかなしいと読むのは正しい。
真っ白な部屋という方法以外に白に包まれる事はないということ、太陽を直視できないということ、切れ間ない雲と空の間に立ってもたちまち地表に落ち激突してしまうということ、あとひとつある。
知らない家から聞こえるピアノの音色で世界は止まるでしょうが。世界を神と読み替えたさい宗教になる。知らない家から聞こえるピアノの音色に神は立ち止まる。
人間関係云々の前に世界と交われないという時点でまったき罪を履行している。
人間ははじめ天動説を支持した。地動説を唱える者は迫害された。太陽を直視できないからだ。
たくさんのスパンコールを撒いたように水面がきらきらと。
だから私は曇りの人や夜の海が好きだ。生きたままでぐんと明度を落としているとはいえ交われるのだから。交われるというのが適切でなければ交わっていると思い込めるのだから。
ひたひたと打ち寄せる汀。
神さまとわたししかいない。神さまとわたししかいないと書いて気付いた。矢川澄子の兎の話だ、これは。
跪かせてください。跪かせてください。跪かせてください。
(こんなにしあわせにくらしてるしあわせなおんなの子です。)
資料的価値に固執するのはやめる。より正確に述べるなら他者から見た資料的価値を考慮するのはやめる。
すべて説明されない事を前提に言葉を吐く行為を許されているからツイッターは楽なんだと思う。無限の呟きに回収される「呟き」。奇形がはびこり対話はすり減る。
「おまえらよく覚えておけ、大事なのはラヴアンドピースだ」と絶叫しながら自爆テロをしかけるみたいな友達がいる。
良心の呻きにより企てる殺人。
スヴィドリガイロフとコイケとイル・マットがすきだ。
スヴィドリガイロフとコイケは自らを処刑する。
飛行機雲は視線を右へ移すにつれほつれ綻んでグラスへ注いだなめらかな右の平面にクリームを垂らした時のよう。海月みたいに足をのばしたらいいなあ。
かみさまも原罪を背負っていると思う彼若しくは彼女もしくはその両方のその人だってぶちころしてほしいのに在るにされてかわいそうだから世界と呼んであげる。
「うつくしい」や「きれい」を“うつくしい”や“きれい”の範疇に閉じ込めてしまうのではと怖かったんです。
0 件のコメント:
コメントを投稿